KEIKO KOMA Webサロン

生きる を学ぶプロセス


二日間の新しい高句麗伝説に参加させていただきありがとうごさいます。色々な存在顕れ、そのような空間で、まことに、生きる、をいのちで経験させていただくプロセスにある高句麗伝説での経験でした。世の中の人間は、人間としてまことに生きることを見失っているのだと感じます。そのような中にあり、いだき講座を受け、生命開放していただいた私たち受講生の まことに生きる が身についたならば、世の中大きく変わるのだと感じます。高麗さんの、生命に見えるがままをに顕し詠まれる即興詩と、瞬間瞬間演奏される先生の状態は、まさに、私たちに、瞬間瞬間生きる を、高麗さんの縦軸と先生の横軸のど真ん中に有りながら、いのちひとつで学ばせていただける、経験でありました。人間としてまことに生きること、人間は死んでも終らない永遠に生きる魂であることが分かれば、仕事先や営業で出会う人たちが、それらの思考がまったく逆になっていることにより、希望を見いだせなく諦めの境地で生きている状態を変えていけると感じます。そして、それらの状態は、言葉では通じなく経験するよりないのだと感じます。人間が知識で固められてしまったこの世の中は、いのちの交流できる空間が断絶されてしまったように見えますが。だんだんそれもすこしずつ変わってきているように感じ希望が見えます。受講生の生命の尊いことがより感じられてならない今です。新しい時を刻むように、時計の電池も京都高句麗伝説を迎えるのを待っていたかのように止まり、京都で新しいものに替えましたが、それまでは携帯も電池がなくなり、時間のない日を過ごしていました。時間がわからなくてあたふたしている常態は、いかに時間に縛られ、また頼っている証拠でした。内面は宇宙なのに、思考が時間に縛られていては、アンバランスです。日本人の精神とひとつに時とともにある状態は、高句麗伝説の空間なのでしょうか。魂ひとつ。。いのちひとつ。。自然空間とひとつに生きる在り方が望ましいです。見直しはそこかしこにあります。先生の存在顕れになられ存在を取り戻し報われると同時に、馬鹿な在り方もしてきたと感じます。お金がなくても困りますが、存在を分かることは、どんなにかお金を積むから、存在なしで生きてくれ、と言われても、存在なしで生きていくことは無意味であります。此のような今を生きることが出来たことは、夢にも思わなかった奇跡と感じます。現実も、苦がなく、光ある道を歩めるよう、よく考え、おおいなる存在ともに、はたらく智恵により、歩むことを願います。すべてにありがとうごさいます。

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盛岡にて
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南昌荘にて
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マドリード ギャラリーより