KEIKO KOMA Webサロン

気づき


今日一日、昨日のジェンダー講座の大きさ、凄さを感じています。
自分自身のことが少しずつ紐解けてきています。
私のうらみは、何に対するうらみか、という問いに対して、女であることと教えてくださったことが、冷静に納得されてきます。思い出したのは、小学生の頃のことです。懺悔の祈りが大好きで、罪の許しをこうことは日課であり、罪ある人間が生きていかなければならない現実を考えると感傷的になる感覚が染み付いていました。まさか、女が罪であり、自分自身が罪の権化であるとは当時も今までも認識してはいませんでした。しかし女で生まれたことが辛いことは変わりなく、その明確な理由は昨日までわかっていませんでした。自分に罪意識の宗教観念があるので、キリスト教的な観念形態をもつ人と交わり、関係の中で苦しみを繰り返す過去の繰り返しから脱出できなかったのだと、明快に了解されてきます。
まさか人間の関係がこのように過去の歴史によって支配されているとは、、普通に生きていたらわかるはずもなく、苦しみを繰り返すよりないのかと、言葉を失います。
うらみが自分の中にあるので、関係の中で、また仕事の中でも私はうらみ返しをやっていたと認めます。生意気にも愚かにも自分が上に立ち支配することで、女である自分を認めさせると、躍起になっていたと感じます。中世から続くあまりにも根の深い問題であることだけに、そう簡単に乗り越え変われることではないとも思う一方、先生と繋がることができた今、100%完全に自分の中から無くし綺麗になりたいと心から望みます。
関係をつくっていく以前のことが自分の内側に解決できないままあることが、苦しみの根源、原因とわかることができたことが救いです。
また聖=性と白板に書いてくださった後に、これを聞いて私が聖なるものをまた再び目指しても挫折の連続と仰ってくださったことにも救われました。観念をいくら置き換えたところで、観念は観念にすぎず、実現はしていかないと感じます。

一方内面で通じ合う状態、物事が次々と展開していく在り方を全く知らない訳ではありません。手がかりは、経験の中にあると確信しています。
本当にありがとうございます。

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