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“死にがい”という言葉


「生き甲斐を過剰に求め、手段と目的が逆転してしまった」若者を登場人物にした、朝井リョウの小説『死にがいを求めて生きているの』を読んでしまった。実は、先日の「存在論」のときにも携えていたので、“死にがい”の意味を考えてしまった。「生き甲斐とは違い、花火のように最後、咲かせると同時に爆発するような持続性のない状態」を意味する造語なんだと作者が語っていた(朝日新聞)が、いま一つぴんと来ない。なにか「死」を美化しているようにも捉えられるし、存在の意味をずらされているようにも思う。「生き甲斐を見失って」でよいのではなかろうか。「大きな言葉やスローガン」に導かれての運動や行動は、肝心の個人の「生」の意義とうまくつながらないところもあるが、「生き甲斐」を考えながら、生きていくべきではなかろうか。もちろん、「社会的に価値がない」発言は許すべきでなく、一人一人の「生」の輝きを消してはならない。この小説、読み物としては面白く、現代社会を活写しているが、わたしには「精神」も「思想」も感じられなかった。

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