KEIKO KOMA Webサロン

死と向き合う


存在論ありがとうございました。久しぶりに三鷹市役所、この会議室に参りました。とても懐かしいと感じ、綺麗になったお部屋で先生のお話を伺える巡りに感謝しました。存在と時間のお話から、世の中は空談、空文であふれ、人は世人として生きていること。どうでもいい事は日常性であり、頽落つまり堕落している事を伺いどきりとします。現存在とは人間のことであり、死ぬことをわかっているから人間であることを学びました。なんで生まれてきたのか、、これが存在の目覚めと伺い、その気持ちはあったので、今ここにいれたのだと感じます。たとえ親が死んでも自分のこととしては理解できないと伺い改めて考えます。真面目に生きることは死を問題にできるかであり、死から逃れたいがために余計なことをする事も思い当たるのです。ここ数年父や担当するお客様が亡くなり、それは年齢関係なくであり、思うことはあってもそれにとどまっていました。死を理解する手がかりが自分のうちにあり、良心がかすかに目覚め、先駆けてゆく事であると。先生を先に向かわせてくれないものがあり、やり始めたからずっと過去を綺麗にすることをしてくださってきたこと、感謝と申し訳ない気持ちと色んな気持ちが入り混じり頭を垂れるよりないです。初めは重いよねとおっしゃっていた場がどんどん澄んでいったこと、どれほどの方にお目にかかっていることをもっとわかってゆく時です。ありがとうございます。

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「高句麗伝説」第4弾
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比叡平工房にて