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歴史的コンサートを迎え


只今京都に向かい高速道路を仲間と走っています。死についての講演会に前日も終わるお時間に参加叶い、参加させて頂くことになりした。しかしそれとは裏腹に参加を決めた時くらいから体が重たくなり、普段あまりならない肩こりになり、睡眠不足とは違う眠気もありながら夕方まで仕事をし、その後の搬出を仲間にお願いして三鷹に向かいました。何をもって死というのか、お聴きしているとまるで解っていない自分が浮き彫りです。身体が変化してきて眠く、背中が重たく、お聞きしているのが精一杯でした。このところ、すごく勘が働くところと世界のこと、日本の現状などが解っていない鈍さが二分されるように自分の中にあり、動けないのは何故なのかと問う日々でした。その状態ですから、高麗さんがご質問されたことのお答えを先生がお話しされた時は亡くなった時に大いなる働きと共にも近くにもいないであろう自分であることは納得できました。講演会の最後の頃、先生が身体が軽くなってきたのではとお話しくださった時、身体は重たさの残像ありながら身体が解放されて行くのを感じました。
だいぶ昔のになりますが、私が大きなコンサートの後、個人的事情からいだきの催しに来れなくなり、全て片付いて久しぶりに応用コースに参加させて頂いた時、たまたま先生かフロアの椅子に座っておられ、ご挨拶をさせて頂いたら、幼子のようなお顔(他に言い方かみつからず失礼な言い方ですみません。)でニッコリされた時、涙溢れそうになりました。大人の方でこのような純粋な笑顔をされる方に他にお会いしたことはありませんでした。幼子のような状態で大人にならなきゃいけないというお話しをお聞きし、ふと思い出したことです。
死についての翌日よりチケットが動き始め、伝え方もきっぱり言う自分に戻ってきたというか、なってきました。連続コンサートの度にこのコンサートの経験をもって自分は必ずどんどん動ける自分になる!と決めて参加してきました。
先生、高麗さんに出会えた自分は動けないまま終わるような嘘つきな人生で終わることだけはしたくないです。
京都での高句麗伝説宜しくお願い致します。

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結工房にて 即興詩5