KEIKO KOMA Webサロン

東京に帰りました


青葉輝く木々のそよぎが心地よい仙台の街でした。高麗屋の窓辺には大きな木がよく見えます。木を見ると、心やすらぎ、人間としての原点を取り戻していけることに感謝し、改めて木が見える風景がある場所は恵まれていることに感謝する高麗屋でのひと時です。そしてここはエチオピア「天命」コンサートのDVDが流れていますので、活動の原点にも立ち戻れ、コーヒービジネスのはじまりを確認でき、とても恵まれていることをしみじみと感じました。今日まで仙台におられた方も、今日仙台にお越しくださった方もおられ、ビデオ講演会をさせていただいてから帰京することになりました。風はさわやかに吹いていて心地よい日でしたが、身に感じる重さが苦しく、片付けてからでないと帰れない気持ちで色々なことを整理せざるを得ない状況となり、それでも引きづるものがありながらも仙台を発ちました。渋滞も多く、サービスエリアは混雑していてなかなか入れず、かろうじてお手洗いに入ることくらいで休みなく、長い時間かかり運転し通しでやっと東京に無事に着きました。無事に帰ることに集中することは当たり前のことですが、無事に帰れて本当に安堵します。

道中、克哲さんと疲れ果てながら、人のことが一番疲れると溜息をつきながら話していました。いだきは人間のことを仕事とさせていただいています。それも生まれつきの運命を解明、改善するという歴史上為されたことがなかったことを行っていますので、先生が身に受けられる重荷は私たちには想像もつかないことと今日も身に染みる経験をさせていただきました。

そしてアントレプレヌールサロンでの過去を切り捨てること、ジェンダーでの「passion」ヤマハホールにての「passion」「世界を動かす」とのメッセージを経験させていただいたことの意味が実践の場でよくわかる経験をしました。この3日間の経験は新しい時代を生きる上で要であったということも生命をもってわかりました。たまたまスタッフと話している時、同じところから上がっていけない理由を先生が「田舎者」と表現していたことを思い出し、思わず口をついて言ってしまう場面が訪れました。大笑いとなり、抜け出せる希望を感じました。そのきっかけは、ある声の出し方を聞いた時に私には生命が曇ってみえたことからでした。自が出てしまったとのことで、生まれ育った地の訛りであると聞きました。訛でなるなら、私はとやかく言う内容ではないと受け止めたのですが、曇ってみえることが気になり考えた瞬間に先生がおっしゃた「田舎者」との表現を思い出し、口走ってしまったのです。過去は捨てねばならないとも口走っていました。私も思い当たることがあり、先生がお話くださることの深さに畏れ入りました。過去を捨てるより今後は生きていけないことも世界に通用しないこともよくわかる経験となりました。気づき、抜け出せることが真にありがたいことと感謝一杯となりました。

ジェンダー講座の内容もよくわかるようになりました。男性に取られている状態は、男性の頭になっているので、頭がはたらかずに、記憶も定かではなく、工夫することもできず、仕事はとても一緒にはできないことを身をもってわかる経験もしました。ジェンダー講座の経験は凄いです。私のような人間には頭も手足も男性に取られているように見えてしまい、それも魔物が取り憑いているように見え、とても嫌になるのです。以前、世界で活躍する女性大会に行った時、自分の身が傷んでしまい最後までいれませんでした。先生から頭が男性性となっているので女性性をつぶしている状態で仕事をしているので、体が痛んでしまっていることを身に受けて痛んでいるのだと教えていただき、大変驚きました。今はジェンダー講座で学んだことをよく理解していかねば生きていけない時代であることを身にしみ感じる経験もしました。先生がおっしゃるように、いだきの経験をぶち壊すのは男女の関係とはよくわかります。故に自分がどう生きたいかをわかることが必要であるともわかります。いだき講座は自律した生き方を学び、身につけていける場であります。新しい時代を切り拓くお気持ちがあれば、求めない人はいないと見えています。過去に戻されることのしんどさも身をもってわかる経験をし、過去に戻ると、感性も鈍くなり「passion」はなくなるともよく見えます。この3日間の経験が身にしみわかった今、猶予がない時を迎え、人生かけることは当たり前と考えます。実践すると先生のお話の深さに目覚めていけますことが真にありがたいと感じています。ありがとうございます。

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輝く木々の緑に目を見張ります
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弘前れんが倉庫美術館にて
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六本木 高麗恵子ギャラリーにて