KEIKO KOMA Webサロン

朝の空


朝の空を見上げた時、畏怖を感じました。稲妻のような太陽の光が、グレーのコントラストの曇り空を切り裂くかのように見えたからです。何もかも見透かされると瞬時に感じ、何を見透かされるのかと思わず考える朝です。

先日の夜、毎年楽しみにしているアーティストのプレミアムディナーショーに行って来ました。昨年は退院して直ぐで体力がない中、必死に行ったものの過去の繰り返しと感じ残念な思いでした。今年はどうかなとドキドキしながら参加しました。流石に今回は今のドキュメンタリーや新曲があったものの、なぜか冷静にあれこれと考えてしまいます。一晩で450名近くの人数が8万円超の金額を払い、且つ昼夜12公演、フルコースの料理とお土産を差し引いたとしても、巨額のお金が動くビジネスです。恒例のオークションでは、一晩で少なくとも390万円近くのお金が落札されていくのです。途中のアクシデントで右手首を痛めながらも、3時間の中でピアノとドラムを叩く彼を見ていたら、なぜか居た堪れなくなりました。これほどまでに身体を酷使している彼は、一体何なのかと初めてまざまざと見つめていました。見世物と突然言葉が浮かびます。巨大なマネービジネスの中で、主役は彼ですがノンストップで走らされているショーの一部なのだと、照明や音楽やバレエ団、華やかなあらゆるものが色褪せて見えてしまいました。世界を舞台に駆け回り、活躍している彼の映像を見て胸が痛くなります。どんな時も全身全霊でピアノを弾く美しい彼を眺めながら、共感とは何かを考えます。昨年もそうでしたが、ラストは過去の定番の曲でした。皆で歌ってほしいとの思いで、皆が知っている歌える曲を今年も選んだのでしょうか。私は最後列のテーブルでしたが、感動的な場の盛り上がりとは言えない空間の中に身を置きつつ、悲しい思いで彼を見つめてしまいました。古い過去は限界があり、もう飽きているのです。観客は正直なものだと、盛り上がりの欠けた空間が全てを語っていました。

先生のコンサートや高麗さんの高句麗伝説で、毎回生命が躍動感溢れ、共感し、共に在る今を経験し、未来に向かって生きるエネルギーに満ち溢れる機会があることが、どんなに幸せであり、ありがたい事であるか身に沁みます。何もかも素通しで見透かされる今は、何一つ誤魔化しの利かない世界になったことを、朝の空が映し出していたと分かりました。身が引き締まると同時に、面白い世の中になったとワクワクしてきます。様々な気づきを経験させて頂き、ありがとうございます。

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リハーサルの後のフィルハーモニー舞台にて
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盛岡にて
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高句麗 始まり第3弾