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教育者としての言葉を養うために


雨が降っていて、気持ちも鼠色である。今時分になって、W・サローヤンを読むなんて、文学愛好者の端くれでもないと自嘲したくなるが、そんなことどうでもいい。『ヒューマン・コメディ』の出会えた人生、捨てたものでもない、と思う。(辻邦生さんの『背教者ユリアヌス』も、いだきしん先生に言われるまで読んでいなかった。哲学と人生の壮大なドラマが、どれほどわたしを全うにしたか!)「オスマントルコによるアルメニア人の虐殺」問題も新たに視野に入ってきた。「ギリシャ人、ポーランド人、ロシア人、メキシコ人、アルメニア人、ドイツ人、黒人、そしてアメリカ人」がダンスする多様性と、親しき人の不在とを、優しく語っていく文芸の力に感動した。一方、この作家が、現実的には、DVと博打好き、夫婦関係の確執に悩む存在だったことも、悩ましい。
話が飛ぶようだが、「あいちトリエンナーレ2019」の問題が「自由」を脅かす政治状況の象徴のようにも取れるし、いま、高校教育が大きな変革期にあり、高校の国語で文学が選択科目になってしまう事態が起こっていて、教育がAI向き・情報処理能力の高さ向きにばかりなってしまうようなときなので、教員である自分がどうあるべきかについて、様々な思念が去来して、見通しがつかない。
また一方では、離婚をめぐって、子どもに精神的負担を大きくしている塾に通う女性や、ちっともやる気が起こらないで家にひきこもりちな高校生に、適切な言葉のフォローができないでいる。まずは、人間として、そう簡単ではない心の内面を語り、どうあるべきかを伝えるのがいいのだろうが、誤解して二度と塾に来なくなったり、辞めてしまう経験があるから、つい逡巡してしまう。明日の「いだき」の二つの講座で、教師としての言葉を養いたいものだ。

 

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八坂の夜 恋の羊羹
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琵琶湖 わたしの出会った 高麗恵子作品展スタッフより