KEIKO KOMA Webサロン

愛 いのち そのまま


とても久しぶりに高麗様のお家へお迎えにあがらせていただきました。先生のご家族がお住まいのお家とお隣どうし、晴美様の為にとの工夫を凝らした建築中の光景がつい昨日のことのようです。新築のような佇まいにまず驚き、明るい光を放つ元は生きておられる方々の在り方とわかります。いのちそのもの、常に生まれたての赤ちゃんのように在られるご家族が見送って下さるとき、晴美様の御姿も共に在り、涙あふれました。
助手席にすうっと座っておられる高麗恵子さん、存在のままを感じました。かつて毎日のようにご一緒させていただいた頃とは違う御方でした。人間とし生きておられることが奇跡のようです。37年前に出会わせていただいた時も、あまりに純粋な御方で「人間はこのように生きれる存在なのか」と驚いたのですが、1度、2度と大きく “変身” なさり、現在では、純粋という言葉で遥かに足りない、透明で、生命を覆うものが一切無いように感じ、世の中の汚れも穢れもそれはそれは受けてしまわれるでしょうと容易にわかります。常に発進型で全力で向かっている生命で在ることよりなく、一瞬足りとも立ち止まれば其の事がご負担になると考えます。それは場を超えるので、共に生きる、共に活動、と本音あるならば、目に見えない心や意識、在り方が、見える事よりも重要とわかり、動く、発進とは、伝える、向かうのみであり、運動ではないとは自明です。
初めて運転を仰せつかった頃、どうして毎日こんなにも大事件が起こり続けるのかと驚いたことをよく覚えています。一般には、生涯一度か二度、あるかないかのことが起こり続けていた印象です。起こり続けることが世界情勢を象徴するようで、詳細はひとつも覚えておりませんが、今となれば、おおいなるはたらきが示してこられたように考えます。公私共に非常に多くの事に直面し、乗り越えてこられる毎に歴史も整理されてきていると考えるとき、深く頭を垂れるのです。

ふとした会話から、今日までなぜ、高句麗の歴史、高句麗人の形跡が見えるように残っていないかを知りました。これはこうですという言葉も説明もありません。真はいのちでわかるものであり、誰かに教えられたり習うことではないと経験します。それを確認したり思い込みかも知れぬと余計な事をする必要も無いともわかります。ふとした時に感じたことから新たなる本音が生まれ、気持ちに素直に生き働き、動いているうちに道が出来てくると考えます。会話の中にあった事実には、悲しいまでに純粋な人間、愛、高潔な精神そのものが表れていたのです。作り物の世の中では抹消されます。真あらわる時の到来をどれほど待ち望んだことでしょう。

受講前は準備してから動く生き方より知りませんでした。わかってから動くでは遅く、それでは作り物より出来ないと考えます。もちろん、常にわかろうとすることも、動きながら次の準備をすることも大事で、其れがないと閃きも気付きも起こりません。動きながら道が出来ていくよろこびはIDAKIならではの醍醐味と知り、奇跡も起きます。

自覚の中では、だめだダメだと思う事が山積みですが、生涯有効な講座2日目を終えた生命ですので何処でも重宝されますし目立ちます。“使われてしまう” も昔からよくわかりました。ケチな土地に生まれましたので、一個人やひとつの会社に使われるために いだきしん先生に会っているのではない、という明確な気持ちが備わっていました。常に上司や社長に対し、自分に素直でありました。「この社長の為に、上司の為に、生涯を捧げられませんよ」と思えば退社です。時には訓練の為に勤めた事もありましたが、期限を決め、それよりもっと大きな目標があることや、いだきボランティア活動の活動資金を得る為と考えれば、2倍も3倍も成果を上げることができました。
生涯ついていきたいと感じるリーダーは高麗恵子さんより在りません。プロフィールには「いだき講座受講」を書きますし話すようにして久しいです。その一言で縁ある人は聞いてきますのでのちの案内もしやすいです。

「本音で生きて下さい」
高麗恵子さんの書物が出版され23年となりますが、ようやく時代が追いついてきて、高麗さんのおっしゃる「本音」が人々に浸透するとき、新しい時代も社会も生まれていると大きな希望を抱きます。
とっても重要なビデオ講演会だからきちんと聞いてねとチームへも昨夜、伝達しました。

仙台にての、いだきしん先生のコンサートです。
いまからとってもドキドキしています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

いつもありがとうございます。

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お茶室より
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NPO高麗 東北センターにて
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三鷹市芸術文化センター風のホールにて−3