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存在論に参加し


翌日の大きな変化を予兆する体感の存在論でした。「死」を実感せずに、真面目に生きることはないことを心に刻むように拝聴しました。自分はいずれは死ぬのはわかっていても「今」ではないと漠然と考え、そのために、真面目に生きることも後回しにしてきたと感じます。日常が毎日重なり、死んだときには「こんなはずじゃなかった」となることは、いつも「今」がその時であることと理解します。世界中、環境問題、人権問題、戦争と片付けなくてはならない問題は山積している中、やることは一人ひとり沢山あり、ある意味、やりがいに満ちているとも受け止められます。しかし、申し訳ないですが、頭ではわかっていても、自分は凋落した世俗にとっぷりとつかっており、本当に愚かであることも考えます。本日の高句麗伝説に参加させていただきますが、この自分の頭を一掃し、人生を真面目に生きるスタートとしたく心にあります。
世界中のこと含め、何卒、何卒よろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます。

田嶋利江子

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東京高麗屋にて
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のり弁当
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京都にて