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即興


教科書に、“知の体力”が必要だ、という永田和宏氏の随想があり、それを高校一年生に教えていて、「大学受験のために」とか、「テストでよい点を取るために」とか、あまりにも功利的な意図による勉強は、「本当の勉強」じゃない、人生の想定外に対処できるだけの思考養成が必要だという主旨は、その通りだと思いながらも、何か面白くないので困惑もしている。生徒たちも説教を聴いているような顔をしている。そこで、いったいどうしたら、「知の体力」はつくのか、思うところを述べてみよという設問を設け、いろいろと生徒の声を引き出そうとした。「歴史に学ぶ。」「本を読む。」「情報を集める。」「歩きながら考える。」「まず体を鍛える。」などいろいろ出る。わたしの隠し玉は「即興」。その時その場で力を発揮し、表現し、分かち合う体験こそが、人の頭をよくするのだと思う。ハラハラしながら、即興の応酬に耐えてこそ、苦境を脱出しうる力が湧くのではなかろうか。
そりゃ、天才は即興が可能だからいいけど……、という声が返ってきそうであるが、多分天才は、「そんなことだれでもできるよ!」と笑うに違いない。「いや、よほど練習しないと無理でしょう。」「えっ!練習なんかしたらダメだよ。」という会話が聞こえそうだ。いだきしん先生の即興演奏も、高麗先生の即興詩も、はじめはわたしもそのようにとらえていた。しかし、民謡の世界では、「即興の掛け合い」はごく普通のことであり、むしろその応酬が人々の心と暮らしを支える原動力だったのだ。まあ、ふだんからいつも歌を心に、掛け合いを胸に置いているわけだが、意思と感覚が輝いていれば、即興は可能なのだと思う。もちろん、だれでもイダキシン先生のような即興演奏が可能だなんて言ってない、即興の力はだれにでもあると言いたいのだ。

偉そうなことを言いながら、今自分は疲弊し、つまらぬことに思い悩む毎日である。今度の応用講座で、「即興」力を養いたいと思っている。

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