KEIKO KOMA Webサロン

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NPO高麗迎賓館にお招き下さり、2つの講演会まで開催下さり、ありがとうございました。人生最高の1日であったにも関わらず、御礼も書けなかった様々な言い訳がありました。「14歳の夏」をはじめ皆さまの投稿を読ませていただき、それらや状態こそが、最高の経験が生き続けていかない要素とわかり、講演会ご挨拶で頭が真っ白になり、前後共何も言えなかったショックをも合わせて抜け出せましたことがありがたいです。また、21日に収録して下さったビデオ講演会を聞かせていただき、コンサート、講座への臨み方も変わります。疎外についてもわかり、いだきで生きる新しい頭の回路が生まれてうれしく感謝申し上げます。
迎賓館からのバスを見送って下さった高麗様は14歳を通り越して7歳の少女と手を振りあったようだったと思わず申し上げてしまうほどで、ばあやの気持ちになってしまい、今一度自分の資質を考えるきっかけとなっています。

開店祝いになんとしても駆けつけなければと大変久しぶりに伺ったお家は進化していて感激です。雑誌の記事を義理の妹さんに渡して下さり、ご一家がいだきへ繋がるきっかけを作られたご家族にもお会いできました。0歳と4歳から知るお嬢さん達がもてなして下さり、「14歳の夏」の語り合いが目に浮かびます。お母さんの講座中子守をさせていただき、高麗様の後ろを歩く4歳の女の子との2ショットは、当時はまだ生まれていなかった「高句麗伝説」詩の光景と重なります。1996年4月19日の直後でしたか女の子と先生との会話も心にずっとあります。4歳の少女はよくわかっていると涙したのでした。今では先輩方と仰ぎ、自然に黙り、お邪魔をせぬようにと心得ています。具体的には記憶に全くないのですが講座やその後の事でご主人と電話で何度か怒鳴りあった体感だけが蘇り、そうして本当に良かったと胸を撫で下ろすのです。cafeに高麗様や先生も立ち寄られたと、初めに「14歳の夏」で知り、心底うれしく、深く感謝の気持ちでいっぱいとなりました。ずっと来ていれば夢のような事も起こりうるIDAKIです。まずは命かけての橋渡し、その後もなんとか続けていらしてほしいとの気持ちも思いも強かったです。関わった方々の中で一体どれくらいの方々が今もおられるのでしょうかとつい先日、振り返ってしまっていたのでした。何があってもとにかく来ていてと祈るような気持ちは消えません。高麗様、先生と共に何かをはじめて下さる事が何よりもの喜びで今日まで来ています。過去は今に溶け合い「光と光出会い新たな歴史を刻む」が現実にあらわれてきて、全てに感謝し、思いは断ち切り、切り替えます。過去のパターンを一切捨てる、の意味もよくわかってきてうれしいです。

名古屋での活動はヘトヘトになりますが、今までと全く違う生き方へ完全にシフトできる大きなチャンス到来です。ふと、語り草となりました、名古屋コンサートのアンコールのピアノが蘇ります。信じられぬほど美しい響きとメロディーで、隠され押し込められた真と知り、真あらわる人生に希望を持てたのでした。今では話す人がいなくなった昔の名古屋弁はフランス語の流れに似ており、色艶がありました。エロスの神あらわる世界の中で風のように生きることは本望です。

涙溢れ口に運ばせていただきました、貴重なクッキーとマドレーヌはピンクとグリーン、ブルーの光に包まれていて、純粋な心まで頂き心より感謝しました。

新たな出会い、新たな魂の出会いのままに生きていきます。

ありがとうございます。

 

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多賀城にて
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1mm
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コーヒー即興詩4: 新五女山