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先生誕生


この日の為に、今までがあったと感じる全てに完璧で素晴らしいことこの上なく、何から表現して良いかと嬉しい気持ちがはやり、書くことと話すことの違いもあることを感じながら、今日の三鷹でのコンサートの経験を書き込みさせていただきます。

第一部「風」とは三鷹らしいと瞬時に感じ、風のホールでは風が吹くのですといつも皆様にお話していたことを感じつつ、先生のメッセージを読ませていただきました。

「今日、吹く風は皆様にはどのように映るのでしょう。三鷹の地に吹く風は、天使が自由に舞う、三鷹でよりあらわれない風です。天使が導く風は輝き、安らぎ、一切の邪を跳ね除け、ただただ各々の美しい内なる命に光ある風は注がれます。

音が風になり、天使が舞い。天使が舞い、音が生まれ。

天使と音がひとつになり祝し ただ新たに生きる。三鷹の地より光輝く風が吹き、閉じた地は開き、太古の神に出会う予感」

メッセージを読ませていただくだけでロマンチックであり詩的であり、美しいリズムがあり、声を出して詠ませていただくと楽しく、生命躍動します。

今日、三鷹で吹く風は今まで吹いた風とは違うことをメッセージで教えていただきました。私はコンサート会場へ向かう為に、外に出た時に風がまわりながら、一筋の光となり、生命の内を吹き抜けたのです。この風があるから生きていけると感じていたことを思い出しました。三鷹の地で吹く風は天使が自由に舞い、三鷹でよりあらわれない風です、と声を出して詠んだ時、背中から大勢の魂が喜び聞いていることを感じ、武者震いが起こり、胸の内は涙となっていました。

先生の演奏からは風を感じ、とてもやさしく心地よく、永遠にこの風に吹かれていたいと望みます。光の風が空間を舞い、どこまでもやさしく生命あるものを抱きながら、光はより強く輝き、一粒一粒の光の粒が鮮明に現れながらもひとつにつながっていくのです。この光景を言葉にするなら「風」となった時、胸の内に光が生まれ、喜び生まれました。後半は、「閉じた地は開き。。」と先生が表現してくださったことをわかる経験となりました。閉じた世界中の地がひらき、ひとつにつながる光景が見えました。埋もれた真、魂、隠された真実、全てがあらわる空間が開かれ、世界は完全に変わると見えました。太古の神とは今ここにあらわれた世界と感じました。太古の神があらわれたら、今までの世界がひっくり返り、完全にかわることが見えました。この時を誰が予感し予知できることでしょう。秘められ続けてきたことが表にあらわる時を迎え、私はおおいなる希望を抱きました。

 

第2部は、「いのり」です。

「「祈り」とは神などの人間をこえる神格化されたものに対して何かの実現を願うことです。

人間をこえるとか人間であるとか、言葉をももちいず、ただいのる。願望や希望などに囚われず、ただいのる。いのりにより、あらわれる存在。このようないのりの時があってもよいのではないでしょうか。ありのままの命。ありのままの愛。ただ在るまま。。。」

声を出して詠ませていただく時、完璧に美しいのです。余計なものがなくなり、邪は祓われ、どこまでも透明な澄んだ空間がひろがります。幼い頃から祈り続けてきた私は、今日のメッセージを読ませていただき、何もなく、ただいのる、という表現に身震いしながらも、いいようのない喜びを感じました。神を対象化し祈ることより知らなかった私は、先生に出会い、動くことが祈りとわかり、生きてきました。先生の演奏から、先生が表現してくださった「いのり」はおおいなる存在と見えました。コンサート後に先生から伺ったお話により理解が深まりました。今までは神に対し祈るので対象化する存在がある祈りであったこと。今日は、対象化するものも、何の思いもなく、何もなくなるということは人にとって怖いことであるとのこと。その時何があらわれるのか。。。と。何もなくなった時、おおいなる存在が現れたのです。同時に先生が現れたのです。息を呑み、その場に居ることに必死でした。頭に何も浮かばず、存在とひとつであった瞬間瞬間の至福の喜びは永遠の光となり永遠に輝きます。演奏が終わった瞬間、先生の誕生と心の中で叫んでいました。世界を舞台に先生が演奏されている光景が見えました。先生あらわる時代です。 CD「高句麗」の最初の演奏の凄さをどのような言葉に表せるかを長年考え続けてきました。ただただ向かうエネルギーは「生きる」ことそのものと生命でわかっていても、言葉が一切関与しない状態と感じていました。今日のコンサートにて「いのり」と表せるのでしょうかと、ふと感じました。心にも内面にも頭にも何もなく、対象化する存在もなく、先生が表現された「ただいのる」ことは私にとってはおおいなる存在とひとつの経験となりました。おおいなる存在の表現をずっとお聴きしていると感じていました。私は真の人生を見ました。世界の平和を実現するはたらきをするように生まれたことも見えました。が、途中、恐怖が身に入り込んだことも見え、人生の道のりが見え、全てはおおいなる存在とひとつになり、何もなくなり光ある命となりました。先生あらわる時、一人一人の存在もあらわると見えます。私は真の人生を見ました。今日この時の為に生まれ、生きてきたのです。いだきをはじめさせていただき、今までの活動も今日この時の為です。故に今日程のことがあらわる時には人は動かずに、動員のはたらきは困難であったともわかりました。同時に30分間で80枚近く販売する経験は神と一体となる経験となりました。要は外す生き方が今までの俗世の生き方です。が、全ては終わりました。おおいなる存在あらわれ、先生あらわる世界となったのです。拍手喝采では済まないこの感動と喜びを今後生きることで表していきます。ありがとうございます。 後ほど、少し続きを書き込みさせていただきます。

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