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今を生きる


三鷹、風のホールよりコンサートをありがとうございました。

今朝、起きた時から、体の中から糖分が出ているようで、甘い味が体の中から上がってきていました。最近こそ糖分を少し控えていますがまだまだ足りないようです。と同時に今日の三鷹のコンサートに心身共に向かっていることも感じていました。

(一部)

頭の中に色々な思いが詰め込まれていても、体感は体感としてありました。最初は頭に詰め込んでいたものに取られていくように意識散漫な状態がありましたが、今日は初めて経験するような感覚の中で、意識散漫な状態があっても、体感は体感としてあるという二つがありました。二つに分かれていながら、だんだん体感の方が強くなっていったとき、風の流れの中にいるように感じ、あっ、そうだ、ここは三鷹、風のホールだったっけ、そこからは感じるのは自然ばかりになっていくのです。体感なのか自然なのか、分けなくてもいいと、もう意識は介入してもしなくても関係ない状態になっていきました。あるがままの体感とでもいうのでしょうか、、すべてを受け容れていく感じはひたすらやさしく、生きる希望が自然と生まれていました。

(二部)

大きく音が変わり最初こそ戸惑っていましたが、一部に続き、初めてのように感じる体感の中で、自己肯定が始まっていきました。ひたすら自分を肯定していくのです。受け容れるとも言えるのか、でも言葉は自己肯定となるのです。いつも自分が何をやるべきなのか、頭で決め込み、出来る、出来ない、やらなければならない、などなど、自分に規則のような決め込みをしていたかのような呪縛があったのかも知れません。死ぬときに全部現れ、罪の意識に苛まれることがいちばん怖かったのでしょう。。どこか罪と罰の思いがあったのかも知れません。そこから人を捌き、自分を捌き、という負のスパイラルができていたのかも知れません。ひたすら自己肯定という言葉になっていくのです。とてもやさしい感じが続いていく中で、好きということへと自然に繋がっていきました。好きだからやり続けてきたと思ってきたことがあり、継続してこれたからこそわかっていけることが有り、一人でやっていると思ってきたことも、決して一人ではなく、気がつけば、一緒にいてくれる人達がいて、そこには同じ場を共有しながら新しい関係ができていくプロセスがあり、自分一人ではできないことの中で自分を知ることの発見がいつもありました。ずっと以前先生から、やっていく中で自分のことがわかるからさっさとやる。と言っていただいたことを時折思い出すのです。わかった気になっていたようでもはっきりはしていなかったことが今日の二部でわかっていきました。決して一つのことだけではないですが、継続してきたことだからこそわかっていけることが有るのです。これから。。。今 、今、が大切で、そのプロセスにいる今、決着を決め込むことではなく、今を生きる連続が未来、そのプロセスが一人相撲ではなく、気がつけば一緒にいてくれる関係ができていけることが未来でも有ること。その過程が今、今、の連続。とてもやさしい気持ちが湧き上がってきます。

ラストのアンコールは美しい光でした。

三鷹、風のホールのコンサートをありがとうぎざいます。

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