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丸ごと変える


一昨日の盛岡での応用コースとビデオ講演会をありがとうございました。応用コースでは、私達が生き残るために必要な、全方位で盛り沢山な内容でした。

まず、食料問題などが、一気に起こりうること、玄米を食することで3ヶ月は生きることができるというお話しから、危機をより具体的で身近なものとして感じました。人類が淘汰されるかどうかの瀬戸際にあると感じ、一刻一刻が大事な時代とのお話しに重みを感じました。一方、危機的状況にあることを思考の起点とすべきことも再確認ができました。市場と気候が変化する中で、人間の頭だけが変わらない状況がまさに危機であると捉え直し、常に頭が働いて迅速に行動できるよう身体的能力をトータルに変えることが、人類の環境への適応ともいえる生き残りに繋がるものと思いました。このため、自身を丸ごと変えるためには、最低限、人間として当たり前であることを当たり前に継続することが重要と感じました。

その後のビデオ講演会において、生命についてのお話しをお聞きした際に、これまでの自分の生命の状態が思い起こされました。自分の生命が躍動するような物事に出会っても、なぜか継続と追究ができずに「あきらめ」てしまう傾向があり、その理由を考えるきっかけを頂きました。もちろん自分の意思の弱さという課題も大いに関係しますが、生前の母のことばを思い出しました。母は、「父と職場結婚をした際に、当時はそのようなものかと、辞めざるを得ないと感じて仕事を辞めた。ただし後から考えると、学校側と父にそのように仕向けられた気もする」と、何度か口にしていました。当時の社会的状況を背景に、結婚をきっかけに生命の働きに反して教職を継続することをあきらめ、家庭に入り私の出産に臨んだ当時の母の状態や気持ち、母と父との関係を想像すると体が大きく反応しました。

この経験をもとに、東京に戻った後も、母の生き方の中に自分が見ていた愛には、愛情、すなわち「情」が含まれていた部分もあるのではないかと思うようになり、自分の中にある「情」が生命の働きにどのように作用しているか、仇となっている可能性はないかを考え始めました。また、愛という観点からは、現在、理念がことばとしてなかなか定まらないのですが、その原因として、自分勝手な状態から脱却できていない状態にあることを認めました。講座でお話のあった、自身を「丸ごと変える」の「丸ごと」には、内面の奥底深くに潜むものが大きく関わるものと感じました。

ありがとうございます。

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「全い」
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