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ロシアの二大文豪と「死者たちの民主主義」


応用コースにてドストエフスキーとトルストイについてのお話があり、とてもワクワクします。「悪霊」も「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」も難解で学生時代に何度も何度もチャレンジして、なんとか読み通した記憶はあります。が、小林秀雄さんの「他者の作品を通して自己を語る」という独自の批評精神に助けられながら、文学で表現されている「人生いかに生きるか」を読みとることを習っていたような時代でした。

このお二人の作品は何しろ登場人物が圧倒的に多いので全体の関係性を掴む目がしっかりしてないと個と全体、形成されていく全体の流れ、動きを把握することが難しく、お手上げ状態になるのでした。さらにその全体で表現されようとする「人間について」は神、悪霊など当時はまったく理解できない存在によって益々混迷の世界へと入り込んでいったと感じます。

特にこのドストエフスキーとトルストイからは愛、精神、魂という人類の大テーマを感じとると共に、放蕩という徹底した破天荒な暮らしぶりから人間の真実に迫る狂気のようなものを感じ、同時にそのメチャメチャな暮らしぶりの中から「人間の誠実」が竜巻のように匂い立つのでした。今、振り返れば「超人への道」のヒントだったと思います。当時のわたしは人類という概念、愛、精神、魂などについてはこのお二人の文豪から感じとっていたように思います。

いだき しん先生との出会いの最初から先生が表現される「全体性」に感じていたのはこのお二人の大文豪です。先月の京都の存在論で、今の自分の状態について質問させていただき、「可能態」というお答えをいただいてから、昨日の「可能性」へのお話と確実に繋がって来ていますが、「死者たちの民主主義」との新たな先生の表現にまた考えるヒントをいただき、自分自身でどう応用できるか?理解できるか?自らに問います。
わたしにとっても人生の賭けどころとなった今、とても貴重な日々をありがとうございます。

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