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ウラジオストク


無事に帰国致しました。今回は、ツアーが企画される前から準備を進めていたこともあり、個人ですべて手配しての参加となりました。20代の頃、ヨーロッパで過ごさせて頂き、折角なので色々な国を一人旅していたのですが、今の私は出来るのかと試したい気持ちもありました。事前に確認は入れましたが、予約がちゃんととれているか、手配はされているかの不安はありました。タクシーに乗り込んだ時も、ホテルでなかなか名前が上がってこなかった時も、トラブルになった時を想定しましたが、結局は、なんとななるとなります。幸い治安は良かったので、かなり自由にあちこちと行けました。ただ、美味しいものを頂いてや美しい景色に感激したりした時に、やはり経験を分かち合う人がいないのは、寂しくもあります。しかし、その分自分の中で考えることもあるので、気づきもあるともとらえました。ある教会の木立の辺りを歩いているとき、自分は生かされていると感じました。行動は共ではなかったですが、ツアーの皆さん、日本の皆さん、レストランで対応してくれた人たち、この街の人たち、この木立、すべての生のあるものに支えられ生きていると感じました。それまで、一人で生きているという感覚であったことに気付かされました。そしてコンサートの夜も、空港でも私が一人であることを知っていたツアーの方々は、案じて下さっていたようで、お声がけ下さり、とても有難く感じました。偶然にも、フライトは行きも帰りもツアーと一緒で、ホテルも隣でした。一人で来たと言っても、皆さんに助けられて無事であったとも今感じております。コンサートは、日本とは違うロシアの音と捉えました。背後に宇宙空間の映像のコンサートには驚きましたが、先生の即興が尚一層宇宙を超えていることが実感され、先生が宇宙で演奏されているように映りました。日中行った歴史博物館で、ウラジオストクが高句麗人がいた所と知り、最後のアリランが、日本の高麗人でなく、ロシアの高麗人のアリランのように聞こえ、届きますようにと涙が滲みました。また、高麗さんが世界の王として輝きだしたと映り、また更に涙がこみ上げました。ウラジオストクはあまりに近く、盛岡に初めて訪れた時のようでした。本当に小さな街で、都会ではありませんが、沢山のアジア系の観光客に溢れてました。文化によってマナーや常識は違い、それはそれでいいのですが、日本人の私はしないことも目にし、私は日本人の礼の文化を身に着けそのものであろうと感じました。日本人的には驚く行為も、相手には常識なことで、その方が悪い人という訳ではないので、礼の美しさの状態であるなら、そのあり方も知ってもらえればと、何か感じてもらえればと考えております。。日本に戻り、車窓から眺める建物の無機質な味気なさに、日本人はいい意味でも悪い意味でも、世界でかなり違うことを考えます。
ありがとうございます。

田嶋利江子

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高麗ギャラリーカフェにて
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ヘルシンキ上空です。
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