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ひたすらはたらく


2020年は勝負の年と覚悟し、迎え、年が明け、はやくも3日目となりました。ピアノコンサート、お餅つき、今日の存在論で、今年の生き方は決まりました。存在論で先生がロシア正教会のお話をなさろうとすると、咳がとまらなくなるご様子に、何が起こっているのかと思わず、目を閉じ、調べました。先生が表現することを食い止めているエネルギーが見えました。同時に、先生はよっぽど言わせたくないんだな、とずばりおっしゃいました。それでも表現してくださったことを私は受け止め、理解し、身につけていくことが人としての礼儀と肝に命じます。内的知恵と外的知恵のお話はよくわかります。内面が豊かでなければ、外的知恵を学んでも、枯れていくだけとも甚くわかります。ロシア正教は、ギリシャ哲学が元になっている西のキリスト教とは違い、内面、魂、精神が元になっているとのお話は、目が覚めることでした。そしてロシアの歴史、国家の成り立ちのお話も、ロシアを理解する上でとても必要なお話でありました。私はロシアの人はいだきを理解すると感じています。その根拠がわかるお話でした。そして幼い頃よりロシアに惹かれ、ロシアを慕い生きてきた理由も、この度、やっと導かれた事の意味も深まります。内から生まれる気持ち、エネルギーが頭につながると我になるお話はあまりに図星すぎて痛快でした。我がでると人に迷惑をかけますし、最後は破壊、破滅となることを甚くわかっていますので、我をコントロールしようとするとのお話も笑うよりない程、普段行っていることであります。ちょうど昨夜もこのからくりに気づき、今年こそ抜け出したいと願っていました。内面を鍛えるよりないとのお言葉をしかと受け止めます。内面を鍛えるには、コンサートが一番です。世界中のエネルギーが集まるど真ん中に身をおき、先生がすべて一体となりながら、抜け出していくプロセスを表現してくださる経験を共にさせていただきます。そして一気に異次元に飛翔するのです。これほど内面が鍛えられることはないと考えます。

存在論後に仲間と話す機会がありました。プーシキンの極端な性格について話し、私に似ていると言うのです。詩人とはそのような性格なのかとふと感じた時、詩を書かずしてはとても生きていけないということも身をもって感じました。内から生まれるエネルギーが我にならず、皆が生きていける環境を創る為に活かしていきたいと願います。

切り箱の書を書いて下さっているとき、「里」は五女山の空気がここにあるから、と先生はおっしゃり、山の上ではなく平地とお話くださいました。お話のままに平地の里の風を感じ、涙滲みました。そして、五女山に行きたいな、とおっしゃた時、胸の内から喜び生まれ、私も行きたいです、と思わず叫びました。五女山と聞くだけで、胸の内が動き、ときめきが生まれます。同時に、行くことが叶わぬ現実を思い出し、心が暗くなります。歴史問題や領土問題により、高句麗の子孫である私はブラックリストに入ってしまい、行こうとしたら収監されると言われている現実が腹立たしい限りです。何もしていないのに、あまりに不合理であると憤りをも感じます。が、いつも押さえ込み、いつか、世界が平和になれば叶うと言い聞かせ、一日も早く平和な世界を実現したい気持ちで生きています。最も帰りたい故郷に帰れないことを考える時、心が曇ってしまうことが多かったです。最近はこの類いのことを考えることが多くなり、心が曇ったり、辛くなる状態は、何かが間違っていると考え始めました。今までも人生を考え生きてきましたが、更に考えるようになりました。行き着く答えは真の自分を活かし、おおいなる存在とひとつに生き、無我夢中で動くことです。その後に答えがあると考え、今からはひたすらにはたらく気持ちでいます。今日は、誠実でなければいけないとお聞きしました。先生がお餅つきで見せてくださっていますように、誠実に事を為し、お米がある山を越えると突然お餅に変容するように、事を為していった先に突然ある何かになっていく未来に向かい、生きていきます。内面を鍛える先生のコンサートを一回でも多く開催し、動員のはたらきかけを無我夢中で取り組み生きていきます。今やらずに何時やるのかとは常に聞こえるメッセージであり、時は今よりないとはよくわかっています。年明け3日間の経験を活かし、ノンストップではたらいていきます。ありがとうございます。

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