KEIKO KOMA Webサロン

これからどう生きるか


長時間にわたり、先生、高麗さんのお話しをお聞きできる機会を心よりありがとうございました。
応用コースにて、治癒神のこと、イエス・キリストのこと、受容のことをお聞きするとき、講座2日目の究極的な体験を改めて思い出していました。先生に初めてアンフィニの講座室でお会いしたとき、先生が私の名前を呼んだくださったその声は、私をひとりの存在として受け入れてくださったとわかる初めての体感に、本当に衝撃を受け真に希望を感じたことを忘れません。初めは何もわかりませんでしたが、先生が講座室にお見えになった瞬間、イエス・キリストを感じ、聖書にあるように重病人を治癒し、奇跡を起こしたイエス・キリストは実在した人物であることを直感した衝撃も忘れません。先生の存在と、そこにつながる元なる存在、世界によって助けていただいた生命であることを本当に感謝いたします。徹底的に受容されたその優しいこと、愛を経験して、治癒神の根幹は愛であることもわかります。
死についてでは、先生が「死」について考えざるをえなかった理由がご自身の臨死体験と、その後死者を相手にするようになったことであったことをお聞きして、普通とは全く違う先生のご経験に驚きます。しかしこのように具体的にお聞きできることで、いだき講座の仕組みは誰にでも適応できる科学的手法をとっているとお聞きしていることの意味がよくわかり、自分の経験や主観的な感覚が理屈として整理されしっかりとした軸が自分の中に出来上がっていく体感を得ます。いだき講座で浄霊していただいた生命は、真に自分の生命を取り戻している生命であることを起点に、今この時にどう生きていくのか、ということの答えは、神の世界についてお聞きすることでわかっていくことができました。人間は神と一体となる存在であることや、自分を超えている存在、力とひとつになって人間は人間になったということは、先生にお会いした当初からお聞きしていたように記憶しますが、今この時となりやっと自分の生命でそのことをわかる機会が訪れていることを感じています。それは「いのちの力」をテーマにしたコンサートを連続してくださっていることで明らかです。しかし一方で自分の中にある神観念の崩壊と、生き方を改める必要性に迫られ、困惑している自分がいました。講座の最後に日本人の魂をお聞きしていると悲しくなってくるのでした。なぜ、自分は日本人であるはずなのに、先生のお話しが自分の感覚と符合していかないのだろうかと考えると悲しくなっていくのでした。かつて日本人にとって天皇の存在は神に等しく天皇は日本人の心の拠所であったことをお聞きして、自分にはその心がわからない悲しみを覚えます。またコンサート開催の裏では、まさか三鷹の会場にお神酒が供えられていたとは夢にも想像しませんでした。日本酒をピアノの側に置くことで、鳴らなかったピアノが鳴りだしたとお聞きしたことは大変衝撃でした。日本酒にはそのような働きが本当にあるのかと驚くと同時に、日本人であるはずが、そのような神とのかかわりをわからなくなっている自分が悲しく感じました。「いのちの力」を経験する今、どのように自分の生き方を変えていったらよいのかを考えていました。高麗さんはビデオ講演会の中で、いだきを始められた当初先生のアドバイスを受け実践されていたように、毎朝身の周りのことをきれいにして家を出ること、身を清め空間を清めいつ神様が来てもよい状態に整えておくことを、今この時に再び実践することをお聞きして、涙が流れていました。また先生は今日の講座の中で、地域社会のことを考えたり、国のことを考え自ずとやろうとしていることにとにかく取り組むことをお話しくださったことが、自分の生命と神が一つとなる道と感じました。基準は神であると感じ、それは今まで自分が神と呼んできた存在とはまるで違う働きを感じます。これまで自分が神と呼んできた存在は人間中心の神であったと感じます。
最後に、今日の経験をこうして書いて整理していく中で、自分の中に日本人の魂、日本にある文化が消えてしまった、消されてしまったことを真剣に考えなおして自分の内面に、生活に全てに取り戻していくことが、これからどう生きていくのかに直結すると行きつきます。
尊い一日を心よりありがとうございます。

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盛岡「高句麗伝説」にて
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密談は続きます。このような広いホール内ではなかなか出来ない事です。この時も撮影は続きます。
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会話