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「三日間の余裕」


以前から、不思議に思っていたことは、イエス・キリストは、どうやって「たつき」を得ていたのだろうか。いつも奇跡を起こしたり、有徳者からの喜捨に頼ったりしていたのだろうか。「パンのみに生きるものにあらず」とおっしゃるが、そのパンは、どうしていたのだろうか。きっと、その心の余裕と使命感が生きていく「力」を呼びよせていたのだろう、ということが、22日の「応用講座」配信の視聴で、わかった。
24日の日曜日は、「持続化給付金」の申請が、「不備あり」と返信があったので、すっかり落ち込み、二つほどのズームでの授業をやって、疲れ切っていたのであるが、昨日25日、応用講座の配信を視聴して、いっぺんに元気回復。今日再び申請書を送った。
手掛かりは自分しかないが、これまでとは違った、新しい「見通し」をつけること、と言う最初のお話しから、「イダキのこれまでのプログラムな、何ら修正するところはない。」と高らかに言われたのが、安心の風になって、心を蘇らせた。そして、「三日間、食えるだけの食える金を持っているか」「その余裕が幸運・仕事を招き、金が降ってくるかも!」と言われたことが、心を明るく射せたのだった。さらに、「人と会い、良い反応をしていくこと。」「横に繋がっていくことが、大きく生きる秘訣」と聞き、心躍るものがあった。ほんんとうにありがとうございます。
この前の京都での講座でおっしゃっていた「真空」には、多くの原子、エネルギーがあるということが気になっていたが、最近読んだ、田坂広志氏著『運気を磨く』の中に、“ゼロ・ポイント・フィールド”として、それが書かれていたので、理解を深めることが出来た。「超時空的無意識」から肯定的にならないと、良い運気は引き寄せられないとのこと。ここと響き合う「言葉」を使うことが大切なのだろう。単なる願いの言葉を発するのでなく、たとえ三日間の「余裕」の中でも、浮かぶ「幸せ」の言葉、美しい想念、「大いなる存在」への全託の思いが大切なのだと分かった。
アランの幸福論を読みたくなった。

 

 

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愛のしほり 第5弾