KEIKO KOMA Webサロン

死について


死ついての経験は未だ言葉になりませんが、今、自分の生きる方向はこれで良いのだろうかと根本的なことが問われました。
時代や国家の政策によって人の死生観はつくられていることも、医学、医療が進んだことによって死は隠されたものになったことも、日頃考えることや人の話を聞いていて感じることと通じ納得できました。昔の村にあったような共同体で死を弔うような在り方は今はなく、死を話すことはタブーである空気が今の時代を行き詰らせていると感じます。そんな中で時代は多死社会と言われるようになり、人の最期の在り方に関する国家の政策は日々打ち出され、それら全体の流れに翻弄される中に自分も一緒になっては先は作れないと感じ考えました。病院の経営等の現状についてや、医療制度についても最近調べることが多く、国家の政策の中で人の最期が決まっていくことを理解すると、最期をどう迎え、幸せな時を過ごせるかは、運によると考えざるを得ないと行き着くのです。
先生のお母様の死を奥様の死を隠すことなく、死について話してくださる先生の在り方は根本的に何かが違うと感じていました。何かに衝撃を受けてか、死についての受講後、首の後ろがざわつき、首が上がらず、両手が痺れ、しばらく動けない状態が続きました。最期のギリギリまで幸せに豊かに生きていけるかは、余計なものを綺麗に整理してくださる先生の存在より、解決の答えはないと感じました。自分の今の環境が限界であり、乗り越えない限り実現はできないと閉ざされた状況が見え、昨晩は内面が激しく混乱していました。

本日はアントレプレヌールサロンがありますこと、ありがとうございます。

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コンサートについて
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仙台「高麗屋」にて
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