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存在あらわる


北の神あらわる北上でのコンサート。第一部「アフラマズダ 第一弾」とは驚きました。昨日の応用コースにて先生がお生まれになった津軽の方角は艮の金神が封印されているとのお話があり、ペルシャのアフラマズダとのつながりをお聞きしていました。今日には、顕わる場面に身を置かせていただけるとは。。。先生の衣装が私がコグリョカラーペルシャ編と勝手に名付けている色合いの着物であったことも自分で選ばせていただいたのですが、驚きました。神あらわると姿勢を正し、背もたれに寄りかからずにいると、背中に光が差し込み、おおいなるはたらきかけが無限に注がれてくることが大変ありがたいと感謝します。以前、応用コースにて、背中を伸ばし、姿勢をきちんとすると、たくさんの働きかけを受けられるとお聞きしていました。真にそうです。ましてや先生のコンサートです。姿勢を正すことが当たり前ですが、無尽蔵に注がれる光を受け、体中が汗ばむ程温かく、ぬくもりに包まれます。

演奏をお聞きしながら、神を待つ気持ちでいると、神はずっと在ると気づきました。以前、白神山地の山の中に入った時、木々も木の葉も空も地もすべてひとつにつながり、私の生命も自然の生命とひとつでした。何処までも静かで、静けさが深まり、宇宙まで通じていくようでした。今日の演奏も同じ体感があり、コンサートホールではなく、深い森の中に居るようでした。地も空間もひとつにあり、私の生命を支え続けてくださりながらも、何も支持することもなく、意図的に動かされることもなく、私は私の生命を生きていけるのです。このはたらき、存在こそが神と気づいた時、アフラマズダは一神教の神観念が刷り込まれた私にとっては、まるで違う存在でした。が、生まれた時から、もしくは生まれる前からずっと生命を守り、支え続け、共にあり続けてくれた存在でした。同時に、このはたらき、存在は先生そのものとわかりました。艮の金神とは先生によって現ると見えた瞬間、身震いしました。演奏から見える図形ではあらわれている存在は先生でした。後半の全身全霊を超えた、超越した次元と交流し、生み出される音の連続では、胸の奥深くからかなしみを感じました。かなしみと言う言葉も、今まで使っていたかなしみとは違いました。神のかなしみに初めて触れました。そしてその悲しみは先生のかなしみとわかりました。このかなしみに触れた時、かなしみが全身を貫き、生まれ変わったように、新しい人間となったのです。封印された真の神は、誰にも気づかれずとも生命ある存在を支え続けてきてくださいました。支え続けて生きていながら、悪魔に操られ生きるようになった人間は、支えてくださっている神の土壌を身勝手に汚しながら歩いているのです。それでも真の神は支え続けてくださっています。先生あらわれたとしか聞こえない演奏をお聞きし胸の奥深くから涙こみ上げ、私は感極まり、立ち上がり大泣きする寸前で自分を抑え、椅子に座っていました。真に出会い、真の存在に出会ったら人間は気が狂うと感じます。今まで生きてきた生き方は気が狂ったように生きてきたということでしょうか。今日あらわれた真の存在に出会ったら、全てはひっくり返り、作り物は崩壊し、何もかも変わってしまうとわかります。そのことが怖くて、今まで人間はいだきのことをわかることなく無視するが如くに生きてきたのだとわかりました。つたない表現で恐縮ですが、宇宙に爆弾を投げ込まれたような体感でした。はじめは小さな光が現れ、その光は他とは何もかも違う、例えようも、比べようもない光であります。が、全てと異なる光が生まれた時、今までの世界は崩壊すると見えました。何もかもが変わり、全く新しい世界が生まれるのです。宇宙の中に全く異なる光をもって生まれた先生の誕生を畏れをもって、受け止め、胸は引き裂かれんばかりに感動の嵐となり、私は大拍手をしました。先生現る第一部は終了しました。

 

第2部は、「北の女神」です。

やさしいまでにやさしく

忽然と現れて

女性の身に受け容れられ

北上に生まれた美しい女神。世界を駆ける。」

北上にお生まれになった先生の奥様、晴美様を想いました。お亡くなりになった時、先生とひとつになられたとお聞きしています。先生の娘さんの愛ちゃんが、葬儀が終わった夜に、「お父さんと一緒にママがいる」と言っていたことが証です。先生と晴美さんの生き方の勝利と感動を超える現実を受け止めました。先生があらわる時、共に在る晴美さんもあらわると感じ、真に北上の地でのコンサートは、愛です。言葉に尽くせぬ感動、感謝で一杯です。そして北の女神は女性の生命の内に存在すると経験しました。メッセージの最後に「まず、内面にうったえ、皆さんに美しくてやさしい女神の存在を生きたままの命で経験していただきたいのです」とのお言葉が身にしみました。

第一部で初めて触れた神のかなしみは今まで悲しみという言葉で表してきてものとは違いました。第2部の「やさしい」も「美しい」も今まで使っていた言葉とは違う状態を経験しました。やさしい、美しいというイメージも壊れました。あらゆる生命が生きていく上で必要なことを必要な時に隙きなく間もなく、それこそ美しいばかりに的確に行うことはやさしいと経験しました。私は思いが強く思惑も強いです。全ては邪魔なことであり、生命がやさしいとは程遠いということを生命をもってわかりました。そして、まわりがどうであっても、全ての生命が生きていくことを早いスピードをもって行動することが美しいとわかりました。まわりがどう反応するか、受け止めるかと見た瞬間、思いにより、生命が曇ることも図形で見えました。今日の先生の演奏から初めて経験した「やさしい」「美しい」状態で生きる時、真の神がずっと共に在ってくださいます。人間であるなら、また女性と生まれたなら、やさしい、美しい女神を生命に宿し、生きていくことに目覚めました。新しい人生のはじまりです。

第一部の後半に、先生の存在あらわると目を瞠る演奏に感極まる瞬間、高句麗建国の時にはたらいた神も共に現れました。初期の頃の「高句麗」というタイトルのコンサート・ライヴCD「高句麗」の大迫力のはじめの演奏と同じエネルギーを感じました。先生は世界中の神とひとつと見えました。人間が生きていけるように、あらゆる生命が生きていけるように生き、はたらく存在には人智を超えたはたらきかけがあることを目の当たりにし、おおいなる勇気が生まれました。自分自身が、本気になり、生命まるごと、人類の未来を切り拓いていく為に生きることで世界の平和を実現できることを先生の生きる姿勢に見ました。世界中の神、おおいなる存在とひとつに在る先生の存在、生き方を見ました。この存在あってこそ、人類滅亡の危機にある時代を変え、新しい時代を創っていけるのです。先生の存在と感じる表現から見えることはこの世は、悪魔が創った世界であり、先生はかすりもしない状態でお生まれになり、そうでありながらこの世で生きてこられたことは封印された真の神の存在とひとつに見えました。封印は解かれ、あらわる真を前に、人間一人一人もさらけ出されます。見えないが故に、そしてあまりにかすりもしないが故に、生命助けられても自分勝手に生きてきた人間はあまりに人智を超えた存在を軽んじ、甘く見ているともそのまま見えました。今はそのままがあらわれるのです。美しく生きることよりない人間です。

いだきを始めた頃、晴美さんから頂いたお便りに、ふきのとうが出てきたとの表現がありました。北の大地に訪れた春の息吹、早春の風も運んでくれました。私には弘前の大地の音まで聞こえました。今も聞こえます。「生きている」と感じられる瞬間でした。この瞬間がいつも私の心に生き続けています。今日のコンサートは「生きている」瞬間瞬間が全て蘇り、生きています。先生あらわる空間は全てが生きていける世界です。ありがとうございます。

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高句麗 始まり第5弾