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在り方


先日のヤマハのコンサートに行く前、病院での検査前に何気なく母に電話をかけたら「お正月の京都をキャンセルして。私は行かないよ。」との言葉を聞き驚きました。理由は、伯父がガンであることが分かり、何時どうなるか分からないからと。まだ分からぬこれからのことに対し、なぜ今から否定的に決めつけるのかと問うても、母は頑なに頭で決めつけ私の言葉を聞こうとしません。「兄が死んだら、長女の私がすべてをこれからは決めなくてはいけない。」と、私には分からないことだと涙声で言うのです。「皆が年々年を取り、何もない年なんて無い。今年は愛犬が亡くなり、私と母にとっても特別なお正月である。これを逃したら次は無いかもしれない。」と必死に伝え、お金の話ではないこと、京都行きはキャンセルしないと告げました。あまりにも京都行きの話がすんなり通ったので、危ぶむ気持ちはありましたが、突然の話に感情が入り込み頭に血が上っていました。「邪魔するものに負けるものか」と息巻く自分と母がぶつかり合う構図が見えます。検査後に再度かけた電話で、「気持ちは分かるよ。今まで色々あったけど、いつだって乗り越えてきたじゃない。大丈夫。一人で抱え込まなくていいんだよ。」と、素直に伝えました。母も「状況だけは伝えなきゃと思って」と柔らかな声で答えます。行ける、行けないは結果としてどうであれ、そこに向かうまで自分がどう在るかが大事であると分かります。12月25日の高句麗伝説のチケットも、自分の迂闊さでキャンセル待ちとなり悔やんでも悔やみきれませんが、同じことだと気づきます。やることはやろうと決め、銀座に向かいました。ふっとコンサート中に母の人生を考えていました。自分のことではなく、母のことを今までどれ位考えていただろうか。私はいつも自分本位だったと気づき、泣きたくなりました。2011年12月12日、夜中3時頃に私は突然目が覚めました。その直後にまるで予期していたかのように電話が鳴り、突然父が亡くなったと告げる母の声の奥で救急車のサイレンが鳴り響いていました。不思議な程落ち着いた声で母に指示し、身支度をして明け方に父の待つ病院へと向かいました。電車から眺めた真っ赤な朝日は忘れられません。その夜、父は夜中にプリンを食べ、歩けない足でトイレの用をいつものように済まし、ベッドまで辿り着くと「ありがとうね、ありがとうね、ありがとうね」と母に告げ崩れるように倒れて逝ったと聞きました。無言の帰宅後、慌ただしく動く人の中、「京都に今から行ってくる。夜には戻るから」と突然告げると、母は黙って頷き「大丈夫、行っておいで」としっかりした声で言いました。京都の高句麗伝説へと私は向かい、駅で待っていてくれた友達の顔を見た瞬間、涙が止まらず忘れられない京都の高句麗伝説となりました。愛犬も最後の最期まで死ぬとは思わず、先生の迎賓館のピアノが流れる静かな時間の中、2018年8月16日17時23分に旅立ちました。この日も先生のコンサートが、ヤマハ、ヤマハ、三鷹、そして大ジェンダーと続く日程の二日目でした。愛犬もすべてを察したかのように、私をコンサートへと間に合うように向かわせてくれました。コンサートの中、「生きるとは悲しい、だから生きる」はっきりと言葉が生まれ、その悲しみは愛だと分かります。来年のお正月の京都は、どうなるかは分かりませんが、母と二人で新しい年に向かって行きます。

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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて
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