KEIKO KOMA Webサロン

一歩でも先んじておくこと


まわりをみてやる気をなくすのは命取り。文字通り「いのちがなくなる」。だれもわたしのいのちに対する責任を持っているわけではないのだ。

「やったってうまくいくかわからない」ものを、周りをみて「やらない」と、「うまくいかない」という経験すら出来ない。「うまくいかない」という経験すら現実の中でちゃんとできないと、本当の自分がわからない。頭も使えない、ずれがわからないままになるから。

なんらかの力がはたらくのは、その必要があるからで、抵抗しない。やってみたら、信じられないくらいに、すぐにうまくはいかなかったら、相手(自分)の言動、状態を、信じられないけれど、ちゃんと受け容れて認める。だって仕方が無い、相手の誠意を、わたしが焦りに負けて見抜けなかったんだから。信じられなくても世の中はそういうものなのだ。魂の不正をわかっていて、最初から伏せ目がちになにもかも諦めていたけれど、やっぱり現実の中で遭遇すると毎回いちいち驚く。わかっているようでわかっていなかった。そして焦っていたわたしにも同時に誠意は欠けていた。

人間の弱さ、醜さ、嘘、欺瞞。わかっている振りをして大人の仲間入りをしたつもりになっていた。わたしがそっちに擬態をすれば、こんどはまた、心のキレイな方の人を傷つけるんだろう。わたしとは違って擬態すらできないくらい、心のキレイな人達を。(弱いわけではない。むしろ最近は強い。それであっても傷つくものは傷つくのだ。)だから信じられないけど、自分はそっちではいられないよ。信じられないものを見たとき、わたしは相手と同じになることで、世の中に差別はないと思おうとするんだ。これが「自分の傾向でものを見る」ってこと。講座二日目に高麗恵子さんから言われただろう。でも当時あまりわからなかったよな。先生がピアノを弾きながら「ものごとの良い面ばかり見ていてもダメだよ」と添えて仰って、やっとちょっとだけピンときただろう。でもやっぱりわかってなかった。世の中が良い人達ばかりでないなんていまだになんだか信じられない。そういうことだったんだ。このままだといだき講座を受講しておきながら、単なる甘ちゃんになってしまうぜ。

世の中でがんばっている「デキる人」たちも、パフォーマンスが下がってきている。必死になりすぎて全体を見れないために、的を外してばかりだ。みんなもっと偉かったんじゃなかったのか。すごかったんじゃなかったのか。だって自分はすごいって言ってたじゃないか。エリート企業なんだろ、修羅場くぐってきたんだろ。責めてるわけじゃないんだ、ただ驚いたんだ。(以下、鏡として自分へ言うこと。)案外たいしたことなかったんだなって。認めた方が良いよ、それ。生きていけなくなってしまうから。

ガラガラと崩れゆく城の中で、偉かったはずの、すごかったはずの、人達(自分)の背中を見る。いやしかし信じられない。「この人は絶対に大丈夫」ということの割合は、こんなに低いものだったのか。

盛岡の催しのときに、「自分のところに災害がないからってほっとしているようではとんだ抜け作だよ」と先生がおっしゃって、いつなにがどうなるかわからない現実を感じながらも、『ぬけさく』という響きがなんだかおかしくてここに生きていても良いんだなと安堵した。あれが先月!たった先月。しかも月末だったじゃないか。11/1からどれだけ変化したことか。読んでいただいてありがとうございます。

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こんばんは😃🌃
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京都 高麗屋にて
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八坂より