KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます。


「応用コース」、「存在論」、「死について」「ビデオ講演会」に参加して、
「寄り添う」と「雑」について、考えます。

日常生活は「雑」になりがちで、それが命とりになるというお話は常日ごろから、
痛感しておりますが、怠惰が身についてしまった習慣をただすのは、並大抵のことではありません。
「雑」の反対語を調べると「整」「純」という言葉をみつけました。「端整」「均整」という言葉を目にした瞬間、目の前が明るくなり、うれしくなりました。そして、同じ音の「端正」という言葉を改めて、理解し、「端正」を目指そうという気持ちが生まれてきました。

もう、十年以上前になりますが、顔にやけどを負いました。私の顔に熱い液体がかかり、瞬間「死」という文字が脳裡に浮かびました。泣きながら、シャワーを浴びていた姉を、呼びに行きました。姉はすぐ、私の顔を手で包み、一晩中顔を冷やしてくれました。やけどの痕が顔に残るかもしれないという、失意のどん底にいたのですが、先生のピアノが流れる中、姉と私は光のドームの中で光に包まれたようでした。絶望を感じながらも、なんともいえない温かい光に包みこまれたように、不思議なことに私は、幸せを感じたのです。
「先生」でした。
幸い、皮膚科の名医を知っていたので、朝一に病院にいくと「痕はのこらないよ」といわれ、ほっとしました。それでも、鏡を見る度に落ちこむ私に、姉は鏡に高麗さんの笑顔のショップカードを貼りました。毎日、高麗さんの笑顔を見て、自分を取り戻して、完治していきました。

私にとっては、「死」が浮かぶほどの、絶望の淵にあって、やっと「先生」を感じましたが、今回の「高句麗伝説」では、先生はいつも、時空を超えて寄り添ってくださっているとわかりました。日常に追われる鈍い感覚では感じられないだけなのです。

そして、人は美しくなくては、もう生きていけない存在だということもわかりました。
「美しい」とは大きな羊のように、無駄なく、役に立つということだと知りました。

美しい存在とは、「高麗恵子さん」です。

しかし、高麗恵子さんだけでなく、役に立つとは、各々が、各々の発生の光を顕わすということです。可能性に満ちている、これからです。

ありがとうございます。
三村 馨

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結工房より
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比叡山にて
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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて